〜第4章 実行編5(四日目午後)〜

初心者車中泊旅

6月10日(月) 二日目午後 晴 

十二番札所 〜 十五番札所

十二番 焼山寺(しょうざんじ)

これまでの札所は数kmずつ隣接していましたが、午前中最後の十一番藤井寺から次の十二番焼山寺(しょうざんじ)までは、いきなり40km山奥へ離れます。お寺は徳島県南西部の神山山系の山奥、標高約900mのところにあります。「最初のへんろころがし」と言われる所以です。

昼食を摂った長閑な吉野川市の平野部から、いきなりもの凄いつづら折りを40分ひたすら登ります。道は比較的整備されていて走りやすいのですが、1200ccのソリオでは長い時間の登坂はなかなかキツいです。

空気がひんやりしてきたな・・・と思った頃、やっと駐車場に到着しました。

我がソリ男くんも相当に息が上がりましたので、少々休ませるにはちょうど良い外気温です。

そしてこの駐車場からも、さらに徒歩での上り坂が続きます。

杉の巨木が道の両側に立ち並んでいます。

やっとの思いで坂道を登り切ったと思ったら、

『やっぱ出たか!』 眼前に続く石段! ^^;)

「巡礼とは、観光にあらず修行なり・・・」と思い知らされます。

一つ手前の藤井寺で、『森の奥に消えていた「歩きお遍路さん用の“へんろころがし”の道」とはどんな険しい道なのだろうか?・・・』

ふと思いめぐらすにつれ、これでもクルマですぐ下の駐車場まで来れていることが「どんだけ楽させてもらっているか」と考えざるを得ません。

とかなんとか、歩きながら余計なことを考えててちょっとでもフラついたりしたもんなら、急傾斜の石段から文字どおり“ころがり”そうで怖いです。

続く坂道の参道には、威圧感のある不動明王像があったり、珍しい涅槃の釈迦如来像があったり、趣がこれまでとは少し違います。標高が高く少し涼しいので、いっそう佇まいを凛とさせていました。

↑ はじめての本格的山岳信仰霊場”焼山寺”

やっと辿り着いた山門を一礼とともにくぐると、

いやな予感どおり^^;)、また延々と続く石段です!!!

頂上到着午後2時20分、正面には左から大黒点堂、本堂、大師堂が横一列に隙間なく並んだ珍しい配置でした。

お参りをした後、杉の巨木を見上げながら、しばらく山の涼しさ味わい、もと来た道をゆっくり下ります。

↑ 山深く里からは隔絶された雰囲気 苔むした手水場の水は山水掛け流しで澄み渡っている

駐車場に戻った時は、もう午後3時をまわっていたと思います。

一件の札所にこれだけの時間をかけたのは初めてでしたが、山岳信仰を絵に描いたような荘厳なお寺参りを堪能できて、とても清々しい気分でした。

十三番 大日寺(だいにちじ)

最初の「へんろころがし」焼山寺をあとにして、つづら折りを下り、少しは交通量のある県道に出ますと、これはこれでほっとします。

2車線の県道21号線を東に5分走ると、県道沿いに十三番札所大日寺(だいにちじ)があります。

焼山寺のお参りに想定以上の時間がかかってしまったため、すでに午後4時近くになっていました。

なんと今日の午後はまだ札所2つ目です。

ま、こういうのも行き当たりばったりで、楽しい誤算です。

そうなのです。あまり堅苦しく計画性を持たない・・こういう旅がしたかったわけですから、焦る必要はまったくありません。

いつの間にか空には雲一つ無く晴れ渡り、西陽で陰となった本堂と西陽に照らされた大師堂が向かい合わせで建っています。高低差なくお堂が配置されたコンパクトな境内が妙に嬉しかったりします。

昔の歩きお遍路さんたちも今までの険しい「へんろころがし」を無事に降りたところで、この小さな平地寺が出迎えてくれたのなら、ほっとしたことでしょう。

↑ 左:本堂は西陽の逆光で厳か 右:向かい合う大師堂は斜陽に照らされ眩しく浮かび上がる

それと、ここは日本特有の“神仏習合”が、なんだかわかりやすい場所でもありました。

県道を挟んで真向かいに「一の宮神社」という神社があり、どうももともとはこの神社と大日寺は一緒の境内だったらしいのです。あとから真ん中に道を通した(今や立派な県道になっていますが、)ということです。

しかも江戸時代に、もともとは一の宮神社のご本尊だった「十一面観音像」がこの大日寺の本尊として移設されたようなのです。

神社とお寺が、ご本尊様さえ貸し借りする関係って、ちょっとどうなのか?・・とも思いつつ、和合を尊ぶ日本の価値観の根本を垣間見た気がしました。

↑ 県道を挟んで南側に広がる「一の宮神社」

十四番 常楽寺(じょうらくじ)

さらに県道21号線を東へ3km、時間にして5分ほど走ると、次の十四番札所常楽寺(じょうらくじ)です。

まわりはだんだんと市街地に戻ってきているかのようでした。

駐車場から山門、本堂、大師堂などが、高低差なしで見渡せますと、妙に安心します。

周りは住宅街なので、鐘楼には「定刻にお寺の方で撞きますので、参拝者はご遠慮ください!」という案内板が出ています。

実は今日の札所の中で、このお寺の境内がもっとも多くの人で賑わっていました。本堂も大師堂も複数の人で読経している声が聞こえます。どうもバスツアーで集団お遍路をしている方々のようでした。

この集団の後ろに着いてしまうと、納経・御朱印に時間がかかることが予想できたので、本堂と大師堂をサクッとお参りし、ご納経と御朱印を先にさっさと頂いてしまいました。失礼しました。^^;)

この頃になると、さんや袋からローソクを出したり、線香を箱から3本だけ出したり、火を付けたり、立てたり、あげたり、・・・という一連の所作にも手慣れてきて、納め札に名前を書くのを忘れて慌てて書いたり、納め札そのものを忘れてクルマに取りに戻ったり、逆に、納め忘れて、本堂や大師堂に慌て引き返したりという無駄なヘマも無くなりました。

札所参拝の時間的要領も幾分はよくなってきたと思います。

↑ 自然石の多い常楽寺の境内  右:おそらくバスツアーの集団お遍路さんたち

すでに夕方の4時半ですが、次の十五番国分寺もここから1kmと離れていませんので、今日中に次の札所までは無理なく行くことができそうです。

十五番 国分寺(こくぶんじ)

陽はすでにかなり西に傾いていますが、晴れ渡った6月の陽射しは鋭く、明るく、空も真っ青です。

質素な山門をくぐると正面に二層の立派な本堂が見えます。

時刻4時50分。誰もいません。

ここでは先に納経所へ向かい、ご納経・御朱印を納経帳にいただいてから、ゆっくりお参りをすることにしました。なにせ、5時には納経所は閉まってしまいますので・・・。^^;)

このお寺もできるだけ色合いを持たないように古い木造打ちっぱなしで、凛とした佇まいが夕日に映えて素敵でした。あとで読むと、十一番藤井寺と同じく禅寺(こちらは曹洞宗)でした。

色彩豊かにしつらえられることの多い真言宗のお寺もいいですが、厳とした禅宗寺にはまたどこか惹かれるものがあります。

納経所や寺事務所が閉まり、静まりかえった境内で、ひとり本堂、大師堂をゆっくり巡りながら、その空気を味わいました。

奥には、岩の造形で有名な有料の庭園があり、すごく興味があったのですが、5時を過ぎてしまいましたので、ここの拝観は残念ながら諦めました。

↑ 札所はすべて真言宗というわけではない ここ国分寺も禅寺のひとつ

6月10日(月)二日目の宿泊

今日最後の十五番札所までで、吉野川流域の山裾をぐるっと反時計回りで回ってきた形になり、一番札所霊山寺のある板野市までは、ここからは10kmと離れていません。

なので、今夜は24時間OKの「道の駅いたの」で車中泊をすることに決めました。

今日、上流の「あわおえおおはし」で南に渡った吉野川を、今度はずっと下流にある「名田橋」で北に戻ります。

板野市に入る手前でコンビニに立ち寄り、食材や飲料を買い込み、ギリギリ暗くなる前に「道の駅いたの」に着くことが出来ました。

そもそも出来て1年経つか経たないかの新しい「道の駅」ですから、設備がすべて新しく清潔でした。

とくにトイレが広くて、洗面所を兼ねているためか歯磨きをするための(か?どうかは分かりませんが^^;)、大きなベンチまで備わっています。ついでに、着替えをするためのプライベートドレッシングルームまでありました。

難点は、せっかくここまで良く出来ているのに、お風呂やシャワールームが無く(足湯はありましたよ!)、近くに銭湯も無いことです。そしてメインのレストランである「恵食堂」が夕方6時で終わってしまっていたことですね。

「道の駅いたの」の駐車場にソリオを停めたところで、疲れが出て少し寝落ちしたかもしれません。気がついた時、あたりはもう薄暗くなってきていました。

クルマから降りてウロウロしてようやく、ここではもう食事も取れないし、風呂にも入れないことがわかって、少し焦りました。

ただ、今日は疲れていたこともあり、これからまたクルマを出して、夕食難民・お風呂難民になるのはちょっと願い下げでしたので、夕飯はコンビニ食で我慢して、プライベートドレッシングルームを拝借して汗だくになった今日の身体を濡れタオルで拭きました。これはこれで気持ちよかったです。

クルマにもどるとすぐ寝てしまったように記憶しています。

↑ 道の駅「いたの」はこれから先も何度もお世話になるベースキャンプ地 右:宿泊寺の車中

発心二日目、十五番札所まで回って”車中泊”で終了です。

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