6月11日(火) ODO7,118km 曇りときどき晴
十六番札所 〜 十九番札所
十六番 観音寺(かんおんじ)
8時過ぎに「道の駅いたの」を出発しました。そして15分程度で十六番観音寺(かんおんじ)に到着です。
とても静かな住宅街の真ん中です。
古い市街区画のままなのだと思いますが、道はやたらと狭いです。ただ、山寺ではないので、急峻な登りや下りや石段はありません。お寺の前の道は多分県道(123号線)だと思います。お寺の前だけはきちっと2車線ある普通の幹線道路風に変わっていますが、他は(言い方悪いですが)ただの細い路地です。
境内はそれほど広くなく、木々で覆われているわけでもないので境内全体が見渡せます。
山門を入って正面すぐが本堂、すぐ右に大師堂、すぐ左が納経所と、大変コンパクトにまとまっていました。
鐘楼はなかった気がします。(自分が見落としてるだけかもしれませんが・・・)
8時半ちょっと前に駐車場について、慌てることもなく手順を踏んで納経・御朱印をいただき、クルマに戻りましたが、まだ8時40分でした。
↑ 住宅地の真ん中にある観音寺
多分これまでの札所の中では最も短時間でお参りができたお寺でした。
(もちろん「お遍路」はタイパを競ってスタンプラリーをしているわけではないので、速ければいいというわけではありませんが・・・。^^;)
十七番 井戸寺(いどじ)
9時10分、十七番井戸寺(いどじ)到着です。
久しぶりに出ました、朱色を基調とした派手な山門!。
しばらく渋いお寺が続いていたせいか、とても懐かしい感じです。
それにしても派手でデカい門構えです。こちらは仁王門と呼ばれているようです。ふと見ると、昨日確か十四番常楽寺とかでご一緒になったバスでの集団巡礼のご一行に再び出くわしました。・・・
考えてみればこうなる可能性は高いのです。
こうなるというのは、同じ巡礼者や巡礼集団と別の札所で再開することです。
四国八十八ヶ所お遍路巡礼は、「順打ち」と言って一番札所から二番、三番と順番に四国を時計回りに回っていくか、「逆打ち」と言って八十八番札所から八十七番、八十六番と四国を反時計回りに逆の順序で回っていくしかありません。時々ランダムに回る方もいらっしゃるようですが、相当稀なようです。ですので、歩き遍路なら歩き遍路の人々同士、クルマ遍路ならクルマ遍路の人々同士、一度ペースが一致してしまうと、異なる札所でも再会する確率はぐっと上がります。
自分は車お遍路ですが、初めてで慣れてないこともあり、手慣れた車お遍路巡礼者に比べれば、ペースは遅い方です。逆に、ツアーバスは、道は知っているし運転は手慣れたものなので札所間の移動は早いんですけれども、集団で行動しますし、納経・御朱印にも時間がかかりますので、どうしても全体の巡礼ペースは遅くなってしまいます。なので、結果的に自分ペースと、バスでの集団お遍路さん達のペースが合ってきてしまったんではないでしょうか・・・。
また白衣や、輪袈裟、金剛杖など独特の出立ちなので、お遍路さん同士は当然直ぐわかり、道すがらだろうが、札所の中だろうが、会えば挨拶をします。
このバスでの集団お遍路さんたちとも異なる札所で、何度か挨拶しているうちに、
こちらも、「あれ、また会ったぞ、、、 あのバスにこの人たち!」
向こうさんも、「あれ、またいたぞ、あの珍しい色の横浜ナンバーの車と、あの坊主頭の人!」
というふうに自然に少しずつ覚えていくのです。
しかもお互い車とはいえ、
「あの人だって、あの人たちだって、あの険しい坂道や結構厳しい石段の上り下りを、同じように苦労しながらやってきているんだ・・・」という微妙な共感や連帯感が、ほんの1日や2日でも生まれてくるのです。
そして、わたしは自分一人で気ままに走って、登って、お参りして、・・・を繰り返しているだけですが、集団行動のあの人たちの方こそ、歩いたり登ったりのペースは差が生まれるでしょうから、行程全体のペースを維持するのは難しいでしょうね、、、。
昨日までの札所でも、既に足腰に来てしまっていて、かなり参道の途中で遅れてしまっている人も見かけました。集団で動くことは集団で動くことなりの大変さがあるはずです。
↑ 朱色の大きな山門が特徴の井戸寺 本堂も大師堂も屋根瓦の装飾が立派
札所自体は、高低差もない非常にコンパクトな里寺でしたので、一つ前の観音寺と同様、割と短い時間で参拝を済ませることができました。
十八番 恩山寺(おんざんじ)
9時10分過ぎ、井戸寺を出発。井戸寺を出ると、次の十八番恩山寺(おんざんじ)までは20kmあります。
しかも山を登るので、到着までには1時間かかります。そしていよいよここから徳島市を離れ、小松島市に入り、高知に向かって本格的に南下が始まります。
またまた細く曲がりくねった山道を長いこと走り、そして登り切り、駐車場に着くと時刻は10時15分。
やはり1時間はかかってしまいました。
そして、、、
「うわー、またいた! あのバス!」
(うん?、でも、いつ抜かされた? なんで??・・まいっか・・)^ – ^
たまたまいつになく駐車場が混んでいて、スペースがあまりなかったので、見慣れたツアーバスの目の前にソリオを止めざるを得ませんでした。もちろんバスが先に出発するときには邪魔にならない距離は保ちながら停めていると、バスには運転手だけは残っていて、こちらに手をあげながらニコニコ挨拶しています。
わたしも、「お疲れ様です。またお会いしましたね。(クルマの位置は)いいですか? ここで・・」と挨拶すると、
「いやいや、遠いところからご苦労様です。(クルマの位置は)ぜんぜん大丈夫です。」と。!
バスの運転手さんは、とうにわたしのソリオの横浜ナンバーに気づいていたようでした。、、、
歩き出すと、最初から相当な急坂です。山門なんか見えません。坂道を登り切ると、案の定の石段地獄。そして石段の上の山門をやっとくぐると、右手が納経所で、左手が大師堂。(のはずですが、)木が鬱蒼とおい茂っていて、どちらも見えません。
「うわーこれは思った以上に山寺だわ。・・・」
正面にまた石段です。これを登らないと、鐘楼にも本堂にもたどり着くことができません。やれやれ・・・。
でもあのバスツアーの集団お遍路さんたちも、ここを登ってるんだよな・・・。
本堂に続く石段を登り切ったところで、ちょうど帰途についたあのバスツアー集団お遍路さんとすれ違いです。
いつもの通り、「こんちは。」「こんにちは。お疲れ様です。」というやり取りをして、すれ違っていたのですが、バス集団遍路のリーダー、あるいはコンダクターと思われる黒い本袈裟をまとった女性のお坊さんが、すれ違いざまに立ち止まって、(実はリーダーが立ち止まると集団全員15名ぐらいですけれども、その場で全員立ち止まります。ガバナンスの効きた全体の動きに少し驚きましたが、)話しかけてきました。
「またお会いしましたね。どちらからいらしているのですか?」と。
そのイントネーションから、同じ関西弁でも、京都でも神戸でもないなぁ・・大阪府中からのツアーの方たちだなぁと勝手に思いました。
「天気が良くなってよかったですね。私は初めてで、東京から来ました。」と、
私も立ち止まって応えました。
東京でいつもやっている”作り笑顔”ではありません。何か心からにこっとしてしまったようです。
「それは遠いところからご苦労様でございます。お1人ですか?」
「はい。1人でクルマで回っております。」
何気ない会話ですけれども何となくこの集団のお遍路さんたち全員と頭を下げながら挨拶ができたことで、何かがスッとしました。
↑ 左:ここのところ連続で遭遇したお遍路バス 中右:少し山寺の風情が出てきた渋いお寺
「どうぞ道中お気をつけてくださいませ。」
「ありがとうございます。皆様もどうぞお気をつけて。」
恩山寺出発、バスに遅れること約15分の10時45分です。
十九番 立江寺(たつえじ)
恩山寺を10時45分に出発。5キロ弱先の十九番立江寺(たつえじ)に向かいます。文字通り、小松島市立江町の市中に建立されているこちらも里寺(平地寺)です。駐車場は珍しく有料(有料といっても、普通車なら時間制限なしで一律300円ですが、)で、バイパスの県道136号線沿いに広々とあります。
お寺は細い旧道の県道136号線沿いにありますので、街区一区画分、裏の方に回り込まないとなりません。
山門入ってすぐ左に鐘楼がありますが、手水場はずっと奥にありました。何となくお清めをする前に鐘を撞く気になれませんでしたので、今回鐘撞きは省略です。境内のレイアウトも少し変わっていて、山門を進んだ奥が宿坊と納経所になり、手前の左側の石段を登ったところが本堂、そしてその反対側に大師堂。その他に、護摩堂、観音堂、毘沙門堂、そして二重の塔である多宝塔がそびえています。
威風堂堂とした境内で、とても風格のあるお寺でした。
空はいよいよ晴れ渡り、この時期とは思えない暑さとなってきましたが、このお寺の風格がとても気持ちよくて、しばらく一人で佇ずんでいました。
↑ 左:立江寺の立派な山門 右:場所のスクリーンショット
「前の札所からそんなに離れてないのに、居ないな、あの人たち・・・。もうここからも出発したのかなぁ?」
ここではあのバスにも、集団のお遍路さん達にもまったく会いませんでした。会わなければ会わないで、気になるから不思議ですね・・・。
6月11日ランチ キッチン「ゑみ」
立江寺のお参りを終えた頃、時刻はお昼にはちょっと早い11時半頃を迎えました。新しくできたバイパスの県道136号線からお寺が建っている旧道に回り込むときに、「キッチンゑみ」というちょっと気になるお店がありましたので、ランチは迷うことなくそこへ向かいました。
外観は昔ながらのスナックバー、店内は昭和の喫茶店風、でも基本的にはここはロシア家庭料理屋さん、だったようでボルシチやピロシキ、グルブイなどロシア料理の写真が店内に貼られていました。テーブルの上に並べているメニューの方はいたって普通の家庭洋食屋さんです。
目玉焼きが乗っかっている「ハンバーグ定食」が妙に懐かしかったので、このランチセットにしてみました。
↑ キッチンゑみ お遍路さんも多く立ち寄るとのこと
ハンバーグは大きくて美味しかったです。「キッチンゑみ」を出る頃、時刻は12時を少し回ったところになっていました。
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