クルマお遍路旅 第三回実行7日目11月28日(木)のお話しをします。
3回に分けた四国八十八ヶ所霊場巡りも一昨日(11月26日)最後の大窪寺で無事結願しました。そして昨日(11月27日)は紀伊水道をフェリーで渡り、和歌山市街で一泊したところです。今日は“満願成就”のために高野山に入ります。
11月28日(木) 天気:曇り のち 晴れ 出発時ODO 10,600km
この記事でわかること(要約)
- 四国八十八ヶ所結願後に訪れた「高野山霊場」の詳細な参拝ルートと所要時間
- 和歌山IC〜高野山までのアクセス方法や高速道路・国道の実情(無料区間含む)
- 高野山の見どころ(中門、壇上伽藍、金剛峯寺、霊宝館、奥の院など)の巡り方と特徴
- 奥の院の「御廟」参拝作法や納経の流れ、歴史的著名人の墓所にまつわる情報
- 徳川家康・秀忠が祀られる「徳川家霊台」の立地と見どころ(高野山の穴場スポット)
- 翌日の醍醐寺参拝に向けた移動と「御所の郷PA」での車中泊
高野山大門(入り口)
7:30 スマイルホテル和歌山出発。
和歌山市街から高野山へ行くには、和歌山IC から高速道路に乗って行くのが便利です。E42阪和自動車道とE24京奈和自動車道を使います。市街中心部の和歌山ICからまずはE42阪和自動車道に乗り北上、和歌山JCTを経てE24京奈和自動車道(けいなわじどうしゃどう)に入ります。そして橋本方面(東へ)40分も走ると高野口ICですので、ここで高速を降ります。
実は「紀の川IC」から「高野口IC」まで、この高速道路は無料です(2024年時点)。 乗ってすぐの和歌山市街だけ有料ですが、有料区間はとても短く、「和歌山から高野山に行くための高速代はほとんどかからない」と言っていいでしょう。
高野口ICで下に降りてからは、紀ノ川を渡り、九度山町から国道370号線を南へ走ります。国道370号線は標高800mある高野山まで一気に登りますから、結構な勾配の葛折りが続きました。しかし、四国の札所付近に多くあった細い林道とは異なり、きちっと2車線を維持した整備された舗装道路です。どんなクルマでもとても走りやすいです。
高速を降りて1時間弱国道を走ると、突然真っ赤な「大門」が左手に現れます。
山を登り切りました。ここが高野山霊場の入り口です。
中門から壇上伽藍へ
9:30 「中門」前無料駐車場着。
外気温は4℃。とても寒いです。キーんと空気が引き締まっています。
念の為に持参していたダウンコートをこの時初めて着込みました。まだ少し朝早いのか・・、人はまばらです。道を挟んで目の前が「中門」です。
やはり大きいですね。真言宗らしく派手な朱色でデザインされ、迫力が違います。
「中門」を入ると、境内が広がります。目の前は金堂です。こちらの色合いは対照的に渋く抑えられています。そして金堂の向こうには再び真っ赤に聳える壇上伽藍「根本大塔」が建っています。



↑ 左:53号線から中門を望む 中:駐車場の案内板 右:根本大塔
金剛峯寺内拝
高野山霊場全体を東西に貫く基幹道は県道53号線です。通称「高野天川線」と呼ぶようです。中門から壇上伽藍を抜け北に進むと、この基幹道の一本裏手の道に出ます。この裏道の北側には西禅院、龍光院、総持院などの多くの脇寺の門が並んでいます。すべて地味な色合いです。表の県道から中門を見上げたときの艶やかさとは打って変わって、この裏道は厳粛で渋い雰囲気です。
厳かなこの裏道を東へ3分歩くと、総本山「金剛峯寺」の石門が左手に現れます。
初めての方は想像より小さいこの門に驚かれることでしょう。他が派手で大きいだけに、うっかりすると通り過ぎてしまいそうに地味な門です。
10:00 金剛峯寺到着。(徒歩)



↑ 高野山を東西に横切る基幹道から一本北側の裏道 右は想像より地味な金剛峯寺の石門
金剛峯寺は広大な高野山全体の総本寺です。そしてこのお寺のお参りは普通の参拝とは随分違います。そもそもどこが本堂なのかよく分かりません。先程の石門から進むと表門があり、その中は広大な敷地の武家屋敷のようです。複雑に回廊で繋がった平屋の建造物と庭園が広がっています。ここでは「内拝」(拝観料:大人1000円)と言って、大玄関から履き物を脱いで、これら回廊で繋がった建造物の中を順路にしたがって散策するのです。「茶の間」や「大広間」、「奥書院」や「旧台所」まで多くの部屋を巡ることができ、回廊から綺麗な庭園(枯山水)を眺めることもできました。そして宗務所と呼ばれる大きな建物(もちろんここも回廊で繋がっています)の中に納経窓口があり、ここで御朱印をもらうことができます。






↑ 金剛峯寺 内拝の様子 最後の写真は旧台所
霊宝館
10:30 金剛峯寺出発。(徒歩)
金剛峯寺から県道53号線を中門前駐車場に向かって少し戻ると、霊宝館があります。
10:40 霊宝館到着。(徒歩)
霊宝館には、高野山に伝わる真言密教由来の国宝や重要文化財、それに準ずる寺財が数多く展示されています。大きく「彫刻(主に仏像)」「絵画(主に仏画)」「書跡」「工芸品」の4つのカテゴリーに分かれ、整然と観覧することができます。拝観料は一般1300円です。
そして売店では、文化財のレプリカなども販売されています。
わたしは予てより欲しかった「胎蔵界曼荼羅図」と「金剛界曼荼羅図」をセットで購入し、SOLIOを停めた「中門」前駐車場に戻りました。
ランチ「うどん河内屋」
11:15 「中門」前駐車場出発。(クルマ)
県道53号線を東へ(奥の院方向へ)2km程度行ったところに大阪名物の「かすうどん屋」さんがありました。「うどん河内屋」です。ランチはここで取ることにします。
11:30 「うどん河内屋」到着。(クルマ)
このお店「うどん屋さん」なのですが、ラーメンも出していて、これもまたとても美味しそうでしたので、思わず「かすラーメン」を注文してしまいました。


↑ 左:金剛峯寺の御朱印 右:ランチをとった「うどん河内屋」のかすラーメン
午後は奥の院へはいります。奥の院のもっとも奥、空海さん(弘法大師)の御廟まで行って四国八十八ヶ所お遍路を結願したことを報告“満貫成就”することが今回の目的ですが、ここは散策すること自体が大きな楽しみでもあります。何度来ても、この「奥の院」の独特の霊気というか雰囲気は味わい深く、来るものを魅了します。何度でも来たい場所の一つです。
奥の院
奥の院前(中ノ橋)駐車場
12:00 「奥の院」(中ノ橋)前駐車場到着。
すでにお昼ですので、外国人の方をはじめ多くの観光客で賑わっていました。ひっきりなしに車の出入りがあります。広い駐車場なのですが、すでに駐車車両でいっぱいです。乗用車の他にバスや商用車や大型のキャンピングカーも停まっていました。こうして駐車場を眺めているだけでも、いろいろな旅のスタイルがあることがわかります。
『やはり一大観光地なんだな・・・。』
そして高野山が年間150万人の観光客が訪れる立派な観光地であることを改めて思い知らされます。想像のとおり「特にインバウンド需要が高まっていて、年間20万人強の宿泊客のうち半数が海外からのお客さんである」とのことでした。
昨日、無理にここ高野山まで来ずに和歌山市街で一泊したことは、やはり正解のようでした。



↑ 中ノ橋駐車場から奥の院へ入る。
奥の院「英霊殿」
駐車場を後にして、「中の橋」から奥の院に入りました。灯籠と杉の巨木に囲まれた参道を行くと、右手に赤い欄干の橋があります。そしてその向こうに「英霊殿」(第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた供養堂)があります。奥の院には数え切れないほどの慰霊碑や供養塔がありますが、規模としてはこれが最大級のようでした。


↑ 左:中ノ橋からの参道 右:赤い欄干の橋 奥に英霊殿が見える
奥の院「御供所」
さらに奥へ進むと、「御供所」という奥の院の管理や寺務を行う建物が見えてきます。ここはお守りやお土産などを購入することができる最後の場所です。これより先はお墓群と御廟しかありません。
奥の院の御朱印はここ「御供所」でいただきます。
本当であれば、「先に御廟へ赴き、空海さん(弘法大師)に四国遍路結願の報告と御礼を念じた後、帰りにここへ寄って“満貫成就の御朱印”をいただく。」のが筋(正式な作法)のようですが、先に納経/御朱印を済ませても一向に構わない・・・とのことでしたので、わたしは先にここ「御供所」に立ち寄りました。
12:30 御供所にて御朱印/納経をいただきます。



↑ 御供所と奥の院の御朱印
奥の院「御廟」
御供所よりも先に進むと、両側の杉や檜はますます太く高くなり、山の霊気も深くなります。やがて御廟橋という橋を渡ると、そこから先はすべての写真や動画の撮影が禁止されます。
そして十段ほどの石段の先に「高野山奥之院」という大きなお堂があり、この建物の一番奥が空海さん(弘法大師)の霊廟となっています。
一般参拝者は、「奥之院お堂」内へ立ち入ることはできないため、左手から建物の裏側へ回り込むようにして御廟をお参りすることになります。
12:50 御廟到着。(徒歩)
『ああ、なんか懐かしい光景だ・・・!』と思いました。
そこには四国の札所と同じような「風防蝋燭立て(蝋燭堂)」と「香炉(香閣)」があり、参拝者の半数は白衣を着ていて、慌てることもなく手順通り手を合わせています。般若心経の声も複数小さく聞こえ、香閣の近くには納札箱までありました。
わたしはさんや袋一式をここまで持ってきたことに安堵しました。四国で散々やってきた参拝の手順をここでも繰り返し、無事に結願したことのお礼と報告を、ゆっくり時間をかけて行いました。
奥の院復路 有名人の墓、また墓
実は、来るときにSOLIOを停めて歩きはじめた「中ノ橋」という入り口は、奥の院全参道のちょうど中間地点にあります。奥の院参道のすべての道程を歩くためには、「一ノ橋」という入り口から入らなければなりません。この一ノ橋から御廟までの約2kmの全道程を一般に「奥の院」と呼びます。
そして開山した1200年以上前には1本だった御廟までの参道も、お墓が増えるにつれ2本、3本、と並行して作られることになったようです。
せっかく奥の院まで来ているのですから、わたしは、帰路はもと来た道をただ引き返すのではなく、最も古い(もっとも山側の)道を「一ノ橋」まで歩こうと決めました。
この道は本当に凄いです。日本歴史上のほぼ全てと言っていい“ビッグネーム”のお墓を拝むことができます。もちろんこれらは分骨して建立された墓碑であり、それぞれの人物の本当のお墓は別の場所にそれぞれあるようです。
御廟を後にして、御廟橋を渡ります。するとすぐに「織田信長」、少し行くと「豊臣秀吉」、「お江の方」、仏教宗派的にはライバルにもあたる「親鸞聖人」、「前田利家,まつ夫婦」、そして中の橋を過ぎる頃、「本田忠勝」、「明智光秀」、「伊達政宗」、・・・などなど。
「上杉謙信」と「武田信玄・勝頼親子」に至ってはほとんど道を挟んで向かい合っています。一ノ橋入り口付近には「山口毛利家」「伊予河野家」「薩摩島津家」と続いていました。
『おやっ?』
道すがら、「尾張徳川家」、「紀州徳川家」など徳川御三家の家(代々)の廟やお墓(五輪塔)は所どころで見たのですが、肝心の「徳川家康」のお墓がありません。
※後で一の橋の案内所で聞いたところ、「家康」については、奥の院ではなく、金剛峯寺の北約1kmのところに「徳川家霊台」という管理寺までついた特別な霊廟があり、ここに嫡男の徳川秀忠と隣り合わせの霊舎で眠っているとのことでした。
なんとも、この特別あつかい・・・、最後に王座を摂った「徳川家康」らしいと思いました。(個人の感想です。)
13:15 「一ノ橋」到着。(徒歩)
今回も奥の院参道をすべて歩き切りましたが、前回の時より多くの偉人たちのお墓に立ち会えたような気がしました。
ここからは県道53号線(高野天川線)に出て、SOLIOを停めた「中ノ橋駐車場」に向かって歩きます。基幹道なりに幅広の歩道が整備されていて歩きやすいのですが、車の交通量には驚かされます。
13:45 奥の院「中の橋駐車場」に帰還。(徒歩)
SOLIOのODOメーターを確認するとちょうど 10,660kmでした。


↑ 一ノ橋から県道53号線へ、中ノ橋駐車場に戻る ODOメータは10,660km
徳川家霊台
当初は、奥の院に行って御廟をお参りし御供所で高野山最後の御朱印を頂いたら、そのまま高野山を下山し、この旅の最後の目的地である「京都醍醐寺」に向かおうと思っていました。しかし、先ほど一ノ橋の案内所で「徳川家霊台」の話しを聞いてしまい、興味が湧いてしまいましたので、そこに行くことにしました。前回(10年以上前)の訪問では行ったことのない場所です。
まだ午後2時前、時間はたっぷりあります。
幸い「徳川家霊台」に隣接した南院というところに駐車場があり、車で行っても駐車に差し支えはありませんでした。
14:00 南院駐車場着。(クルマ)
徳川家霊台には「入場受付」があり、ここに200円を納めて(2024年時点)入ります。
『へーっ、こんなところがあったんだ!?』
ほとんど人がいません。
今日は朝から、中門、壇上伽藍、本山金剛峯寺、奥の院、・・と巡ってきましたが、どこも外国人をはじめ、観光客・参拝客でいっぱいでした。しかし、一転してここには観光客はまばらです。
入るとすぐに、山を背にして二つの大きな屋根付きの霊舎があります。向かって左側が徳川秀忠、右側が徳川家康、二つの霊舎はほとんど同じ大きさで並んでいます。後ろに迫る山々には所々紅葉が残り、静かに並ぶ二つの霊舎と重なって晩秋の色枯れた光景を創っていました。
とても渋かったです。ここは高野山の穴場と言ってもいいでしょう。
14:30 南院駐車場出発。(クルマ)
金剛峯寺の脇を通り国道53号線に出ます。 左折すると数分で大門です。
14:40 大門を通過。高野山出発。
国道480号線を少し走り、行きに登ってきた国道370号線に入ります。国道370号線の葛折りを下ること40〜50分、九度山町から紀ノ川を渡り橋本市に入りました。


↑ 左:帰途の大門 右:大門付近から高野山西側の山々を臨む
15:30 橋本ICから再びE24京奈和自動車道(上り)。
次の目標(これが本当に最後の目的地です)は、京都伏見にある醍醐寺です。
醍醐寺には明日(11月30日)一日かけてゆっくり行きたいので、今日は高野山と京都伏見の間(奈良付近)のどこかで車中泊することにしました。
御所の郷パーキングエリア
奈良方面へ向かって京奈和自動車道の上り方面であれば、どのPAでもSAでも構いません。車中泊に向いていそうなPAやSAがあれば、それが今夜の宿泊場所になることでしょう。
しかも京奈和自動車道はずっと先の橿原高田(かしはらたかだ)ICまでずっと無料(2024年時点)ですから、こんな便利なことはありません。
目的をすべて達成して無料の高速道路を好きに流している時ほど気が緩むことはありません。当然のように眠くなります。(笑)
なんだか空模様も怪しくなってきた頃、「御所の郷PA 3km」の標識が目に止まります。
16:45 「御所の郷PA」到着。
それほど広くはない街中のPAでしたが、雨も落ちてきたので、とりあえずここに落ち着くことにしました。奈良中心部まではまだ距離がありますが、今日の道程としてここまで来ることができれば十分です。
17:30 御所の郷PAのレストランで早めの夕食をとり、そのまま車中泊です。






次回はこの旅の最後の目的地「京都醍醐寺」です。
サイト内の別カテゴリーへのリンク
本記事(41話)は「車中泊旅記録」カテゴリーに属しています。他のカテゴリーをご覧になりたい方は、以下をご参照ください。
・「車中泊クルマ探し」カテゴリー最初の記事 →
・「車中泊旅準備」カテゴリーはここから →
・「車中泊旅記録」カテゴリーは以下から →
>16話 クルマ遍路旅 -東名高速 西へ(実行初日)- (第一回区切り打ち遍路旅開始記事)
>30話 クルマ遍路旅 -高知市〜土佐市- (第二回区切り打ち遍路旅開始記事 )
>37話 クルマ遍路旅 -第三回区切り打ち開始- (第三回区切り打ち遍路旅開始記事)
・「車中泊旅レビュー」カテゴリーは →
>29話 クルマ遍路旅 -一回目のレビュー-(第一回区切り打ち遍路旅のレビュー)
>36話 クルマ遍路旅 -第一回第二回のまとめレビュー- (一回目二回目遍路旅のまとめレビュー)
コメント